暑い日が続きます

猛暑の毎日ですね。
時間が無くて置き去りにされていた昔のビデオですが、8ミリやHi8と呼ばれていた磁気テープのカセットタイプのやつですけど再生出来る機器も無くなりました。
最近は子供も成長して映す機会も無くなりましたが、葬るのは忍びない。皆さんどうなさってますか。
実は、すでに一年前に手を打っていて読めないテープを外付けUSB-HDDにmpeg2の画像として作り込むサービスを提供している北海道の会社に依頼して、手元に届いています。
ただ、それを加工する時間が取れずに置かれたままになっています。
猛暑の中で映像の編集なんてやる気も起きませんが、でも奮起して片付けようかと思い立ちました。

syslogに残るCRON 認証失敗

何とかセットアップしながらですが、今月からインターネットに公開を始めたPogoPlugで、syslog にCRONの認証失敗が多数記録されています。 この状態だと実行も行われていないようです。

Aug 4 08:58:01 DebianPogo CRON[4789]: 認証失敗
Aug 4 09:00:01 DebianPogo CRON[6354]: 認証失敗
Aug 4 09:03:01 DebianPogo CRON[8696]: 認証失敗
Aug 4 09:08:01 DebianPogo CRON[12609]: 認証失敗

この原因がわからないので、色々と調べました。 /etc/crontab には、実行するユーザーを指定しているので、そのメール環境に原因があるのかと思い、postfixの配送先を見直しましたが、特別な関係は無いようです。

root@DebianPogo:~# nano /etc/aliases
root@DebianPogo:~# newaliases

そこで、実行ユーザーを root に変更して、標準出力やエラー出力の情報を /dev/null に捨てるのを止めると、正常に動作していると思われる結果をメールで受け取ることが出来ました。

There doesn&#039;t seem to be any new mail.<br />Retrieval completed.<br />

syslog を確認するとメールの配送処理が行われているのが記録されていました。

そこで、実行させるユーザーでのログインを試して見ました。すると、syslog に記録されているのと同様に認証失敗の文字列が吐き出されて、ユーザーに対応するシェルが起動しませんでした。

root@DebianPogo:~# su - www-data
su: 認証失敗
(無視)
This account is currently not available.
root@DebianPogo:~# su - nobody
su: 認証失敗
(無視)
ディレクトリがありません。HOME=/ としてログインします
This account is currently not available.
root@DebianPogo:~# su - pogo
pogo:~$ ログアウト

この場合は、ユーザー名の root と pogo だけが認証失敗にならずに実行できるようです。 /etc/crontab で実行させるユーザーを pogo に変更して経過を見ると、この件に関しての認証失敗の記録は無くなりました。

 

 

えっ! 今年って暑さとか異常ですか?

先週は母方の従兄弟が他界して急な連絡に驚きましたが、まさか今週も訃報の連絡を受けるとは思ってもいませんでした。今度は父方の従兄弟で、私より半年ほど先に産まれた早生まれの人です。

最近では、小さかった子供の頃のようなお互いの行き来はありませんでしたので、細かいことはわかりませんが結婚も早くて子供や孫がいるおじいちゃんだったようです。

情報では、白血病を患っていたらしいとのことです。

近い世代の従兄弟の葬儀が、まさか2週続けて起こるなんて想像を絶する出来事です。不幸を待ち望むような気がして真夏の礼服は持ちあわせていません。厚くて重い真冬の礼服のお世話になることが続いてしまうとは思いませんでした。

 

ブログの公開準備

ローカル設置サーバーにブログを組込み、プライベート写真と一緒に公開しようと思い立ち、セットアップと動作検証を進めていましたが、公開にあたりURLを変更したところ動作不能に陥りました。

安易に開発時のURLを変更して操作するとリンクが切れてしまい、動かなくなってしまうようです。

検索の結果参考になるページを見つけて対応出来ました。日本語で書かれた対処方法は実に参考になります。本当にありがとうございます。

 

やっと念願のプーたろう生活へ

先月で高崎ハムの短期アルバイトも終わり、いよいよ念願のプーたろう生活に突入です。

最近は小学生でも普通にプログラミングする時代になったらしい話を目にしましたが、私が若かった時代はパソコンなんて夢の時代でした。ホストコンピュータと呼ばれた大型から組込用マイクロプロセッサのファームウェアに至る広範囲なプログラミングを、趣味と仕事の境もなく接していた時代でした。

その当時は、プログラマーも少なくて30歳を越したら頭が硬くなってついていけなくなるだろう、と話す先輩もいましたが、その頃は55歳60歳の定年を過ぎたら『趣味でプログラミングを楽しむ』ことをずっと夢見て過ごしていました。

その後長寿になり65歳にならないと年金も支給しない、70歳から支給になる時代も近くに来ているような気がします。身近でも払うだけ払って支給される前に他界した人を多く見ていますが、60歳を夢見てあのバブルの好景気を過ごした私達に、仕事はないけど65歳まで働けといきなり梯子を外されても車は急に止まれない。…ですよね。

これからは時間があるけど、やり残したままで溜まったことが多過ぎて、何から手を付けたらいいのか考えが及びません。

7/31 短期アルバイトが終わりました

7月だけの短期アルバイトの契約で仕事をしていたのですが、今日で貴重な食料品製造会社の体験を終わりました。

すでに今年始め頃に、年金の繰上げ申請をしていて今年の3月分から受け取っています。1ヵ月の繰上げで0.5%の減額と言われていますので、基礎年金は5年で約30%の減額になりますが、背に腹は変えられないとの言葉もあり、高齢になり自分の意識がないようになってから必要以上のお金を受け取っても意味が無いので、自分で活用できる若い時に、たとえ減額になって少ない金額でも有効に利用したいと考えて繰上げ申請したわけです。

とは言え、お金に余裕も無く短期アルバイトの誘いだったので、今回はそれに乗って高崎ハムで働きました。その仕事も繁忙期の一月だけの契約なので今日終了しました。

今まで食品業界から無縁の世界で過ごしてきた私には、スーパーマーケットベルクの物流センター、厚木プラスチック、シェリエ、そして高崎ハムと食品や食品の容器関連のアルバイトは実に楽しい経験でした。

一月だけの仕事でしたが、高崎ハムは、大手の会社なら自動化されていると想像できる場所も人間形で処理していて、色んな意味で人間臭くて面白く仕事ができました。

担当していた仕事は製品課でウィンナソーセージの梱包作業のサポートでしたが、色々な仕向け先があり、色々な種類のソーセージを扱うのは楽しい経験でした。溜まった廃棄対象品を廃棄するときに一部だけですが自分の舌で味わって確認することができて、とても有意義な経験をさせて頂きました。

 

新しいWeb公開サーバーにwebalizerの導入

今現在インターネットに公開中のWebサーバー(Buffalo LinkStation)が少し古いOSで稼働しています。

最近は、Windowsを含め、Linuxやその他のシステムでもIPv6がセットアップされていますし、むしろそちらがデフォルトの設定として優先的に機能しているのですが、今の公開サーバーではDebianの古いOSなので、それに対応できていません。

そこで、最新のDebian OSを組込んだ新たなサーバーを立ち上げようとしています。

ただ古いOSとはいえ提供している今の機能としては、何年もの長期間の運用で安定して稼働しています。また、物理的な構造も内蔵ディスクを2台収容しシステム単体でRAID構成が組めてデータの保証もある程度は担保されています。という事で、同様の構成で最新のDebianに載せ替えて運用できれば理想的だと思ってます。

最終的な理想形は目標としてありますが、すでに公開している今のサーバーとしての運用形態は継続させる必要があり、簡単にはシステム更新ができません。そのため一時的にせよ別のサーバーで代替運用しなければなりません。

そのため今回は、代替運用としてPogoplug E02にDebianの最新Jesseを組込み、代替Web公開サーバーとして立ち上げます。apache2.4でセットアップして、現行公開サーバーでは運用できていない機能のブログを追加機能として組み込むこととしました。今稼働中のこのブログがWordPressにより実現されています。

公開サーバーの利用アクセスの概要を確認できるようにWebalizerをセットアップしますが、現サーバーではv2.01で完璧に近い日本語化が行われているのですが、何故か最新のv2.23-08では文字化けしているようです。

日本語化用のファイルは、EUC-JPらしく、ネット情報を参考にUTF-8に変換してソースからメークしましたが、フォントの指定でエラーが出てしまい画像上の文字が化けてしまいます。諦めてUTF-8に変換しただけの中途半端な日本語化で妥協することにしました。

 

歳を重ねると色々なことがありますね

共に同じ7/26(日)に、従兄弟お世話になった先輩が旅立ったようで、葬儀日程(7/28-29)が重なりました。

嬉しいことや楽しいことが重なるのは願ってもない事ですが、まさかの不幸がタブってしまうのは悲しいことですね。


その1つが、若い頃に一緒にミニバイクで出掛けたり、山登りしたことのある従兄弟のよしみつ(佳実)さんが亡くなりました。

残念なことに私より4歳ほど若くて、まだ年金取得申請もできない56歳くらいのようです。

私が子供の頃には、夏休みのような連続する休みになると彼の家に長期間滞在のお世話になっていたので、ちょうどその頃に私が電子工作で遊んでいたのを見ていたらしく、その方面に興味を持つようになって、就職先として選び長く勤めることになった会社に入社したのだと本人から聞いたことがありました。

元気だった彼は、5ヶ月ちょっと前には、私の母の法事で来てくれていたので、まさか交通事故以外での訃報を聞くとは思ってもいませんでした。

彼は1年ちょっと前には長く勤めた会社を退社していて、その後も同じアパートに継続して住んでいたようです。人生これからの時に若くして病気で亡くなるなんて本当に残念です。

これは彼の兄から聞いた話ですが、病院の色々な検査からはありえない数値を検出していたとのことで、数値の異常から判断してたぶん癌の末期だろうとのことですが、正式の病状はまだ出されていないと聞きました。レントゲンでは脊髄が融けたようにハッキリしない映像だったとも聞いています。また、兄の奥さんから時々背中が痛むと言う時があったようだとも聞きました。

彼の訃報を耳にした時、一緒に過ごした39年前の事を回想しました。私が公開しているプライベート写真集には、ミニバイクでの雪の残る日光ツーリングや北八ヶ岳の黒百合平までの山登り、蓼科山中腹の大河原峠周辺の散策が写されていました。

彼の若かった頃をみんなで偲びたいと思い、それらの写真を選別してA4の2枚にまとめて持ち、昨日お通夜に行って来ました。

佳実さんは私のプライベート写真の中で、1976年の写真の一部として、今後も生き続けています。


そして、2つ目に気が重くなる出来事が、長く勤めたOKIグループで良い事も悪い事も色々と教えて頂いた大先輩で、私が退社した後にも守衛さんとしてOKI高崎に務めていた林英樹さんの葬儀です。

私の周囲にはタバコを吸っていて、肺癌や肺気腫の診断を受けた人が数人いますが、林さんもその中の一人でした。年齢は私より5歳くらい上だと思います。 満65歳、旅立つにはまだ若い年齢です。

私が林さんにお世話になっていた頃は、バブルが弾けるよりも昔で、残業もそこそこあって、ストレス解消に高崎の繁華街を飲み歩くこともしばしばありました。机に向かった仕事で、少し離れていてもお互いに目が合って以心伝心で、その時の待ち合わせ場所の大半が煙がもうもうと立ち上り、視界が悪くて目が痛くなる悪環境のパチンコ屋でした。

林さんは、他人の面倒見がよく親分肌で、関西弁と言うより神戸訛りそのままの口調で、パチンコと酒タバコの好きな人でした。夜は、バー、(ピンクも含め)キャバレー、今は無いストリップ劇場(フランス座)、その他の居酒屋も含めて色々な場所で一緒に過ごした懐かしい記憶がよみがえります。

私がOKIを退社したのは、あの東日本大震災(2011年3月11日)が起き放射能拡散が騒がれた少し前で、もうすでに四年以上になりますが、その後もOKIにいる人や卒業した数人の人達に誘って頂き、林さんとは酒を酌み交わすことがありました。それらの人達と先日(5月14日)自宅に見舞いに行って、久しぶりに顔を見ることが出来たのがせめてもの救いだったと思います。

林さんが若い頃には、実家が神戸の山側で高級住宅街の一角にあった洋館で、すぐ裏には摩耶山がそびえ立つ絶好のロケーションで、西日本ツーリングの途中で滞在させて頂いた記憶がよみがえります。

私のプライベート写真集には、林さんと娘のミッちゃんが若かった時のまま収録されています。今後も私の写真集には、1980年夏の一部として生き続けていきます。

そろそろ準備して葬儀に出掛けないといけないですね。


林さんの葬儀から帰って来ました。

あの明るい関西弁でみんなから慕われていた林さんの葬儀なので、始まる前から大勢の人が溢れるように集まっていました。最後のお見舞いの時に奥さんからの言葉もあり、また本人の口からもまだ諦めたわけではないとの明るい言葉を聞き、近々この日が来るのはわかっていましたが、あれから2月半の歳月が流れ、林さんもよく頑張ったと思います。

受付を済ませて奥に進むと峯松さんと目が会いました。峯松さんは林さんと同じように高専を卒業して同期入社で、入社時から仲が良くお互い家族ぐるみでの付合いが今でも続いているようです。林さんの同期には、他にも長崎さんのような議員になった高専卒同期がいて、受付を手伝っていました。

峯松伸男さんは、私がOKIカスタマアドテックで退社する時には、副社長でした。今の近況を聞くと、あれから別の会社に移り、今は二社目になると言ってました。峯松さんは引き続いて東京に今も通っているとのことで、地方ではなかなか仕事が無いので当然だろうなと納得して聞きました。私の顔を見て元気そうで安心したとも言われました。

林さんも峯松さんも共に私がお世話になったOKI高崎の先輩達です。

林さんも峯松さんも私が入社した頃には、私が入社したのと同じ試験に所属していて、銀行向けのターミナルコントローラのようなソフト制御の機器を勉強させてくれました。

その後は技術センタに移り、ファームウェア開発を手掛けましたが、この頃に夜の歓楽街を楽しんだり、千倉に素潜りに連れて行ってもらったりしました。記録された写真は少ないのですが、1978夏に南房総の千倉に行っているようです。この時に食堂で食べた鯵の叩きが今でも鮮明によみがえります。

その後、林さんも私もOKIグループの中を色々と移動して、一緒になることも少なく、色々な場所で顔を合せても、短期間の出来事で飲むこともなかったような記憶があります。

そんな訳で、小さい頃にミッちゃんケンタロウと呼んでいた林さんの子供達にどのような字が当てられているのかも知りませんが、初めて見る大きくなった長男のケンタロウさんは林さんの若い頃に良く似た人でした。

林さんの弔辞は、峯松さんしかいないとは思っていましたが、入社して以来の林さんとの付合いに沿って述べられた言葉に、林さんの歩んだ試験、ファームウェア開発、東京でホンダのエンジン制御、東北への移動、OKIカスタマアドテック、高崎の守衛、と多くの部分が私の移動の記憶とも重なる部分が多くて色々な記憶をよみがえらせ、目が滲むようでした。

受付は新生活運動で済ませましたが、家に帰り小さく重い包みを開けてみると洒落た神戸のカスタードプリンが収まっていました。神戸出身の林さんに合わせて取り寄せたのでしょうか、とても品の良いお返しです。1980年の夏の記憶がよみがえりました。

私が会社に入った頃には、林さんと同じ高専卒同期が仲の良いグループを作っていて、試験の同じ職場にも那智滝の近辺出身の先輩で名前が確か中田さんだったと記憶している人がいたのを思い出しました。葬儀会場で見かけたことのある顔立ちの人だけど誰だったかなと思い出せずにいました。返って来て思い返すと、たぶんその方だったような気がしてきました。

私も長く勤めたOKIグループの人達が集まる葬儀会場なので、年齢を重ねて容姿が変わっていても、どことなく見覚えのある人が多くて、でもどこの誰だったのかが直ぐにはわからないのです。

 

BLOGをセットアップしてみようと思い立ち

佐藤さんも旅立ちに向けブログを立ち上げたので、勉強を兼ねて何とか自分でも立ち上げようかと考えました。

実はすでに数年前には@niftyのブログを少しだけ触っていたのですが、何か自分には合わないような気がしていて、ちょっとすっきり出来ずに遠ざかってしまい、その後更新が続かないまま月日が流れてしまいました。

そこで自分で立ち上げるために使うブログソフトを何にするのか…と言うより何があるのかの知識もなく、何を利用しようかと調べていると WordPressと呼ばれるソフトがあるらしい事を知りました。

それが今やっと動き始めたこのブログソフトです。

ここまでの状態に来るまででも数日要して、試行錯誤ですんなり行ってるわけではなく、今文字を打ち込んで検証ができそうな環境になったのもキセキのように感じています。

その苦労をメモとして記述しておきます。


まず組込むサーバーは、最新のDebianを投入したピンクのPogoPlug E02を利用して立ち上げて、公開用の私の写真サイトをフルコピーして、別のディレクトリにWordPressを投入して、URLで /blog/ 以下に設定することにしました。

最終的には外のインターネットからアクセスできるようにするつもりですが、ある程度操作してみて問題がない事の検証が必要です。

WordPressは、日本語にも対応している phpソフトで、色々な部分が部品のように .phpで作成されていて、スタイルシート .css や JavaScript .js 等が混在した状態です。

実行権限を与える必要があり、apache2の設定で、WordPressの入ったディレクトリを /cgi-bin/ と同様にと考えて、 ScriptAliasディレクティブで定義したらエラーが出てしまい、原因がわからず苦労しました。

apache2は、ScriptAlias定義された場所にあるファイルは、スクリプト以外でも全て実行させるように動作するらしく、.css .js実行してエラーになるようです。

[cgid:error] [pid 9402] (13)Permission denied: AH01241: exec of ‘/var/wordpress/html/wordpress/wp-content/themes/twentyfifteen/js/functions.js’ failed

最終的には、以下のように定義しています。

Alias /blog /var/wordpress/html/wordpress
<Directory /var/wordpress/html/wordpress>
DirectoryIndex index.html index.html.var index.php index.cgi
AddHandler cgi-script .cgi .pl .php
Options ExecCGI FollowSymLinks MultiViews
Require all granted
</Directory>