厄介な新型コロナですね
新型コロナが蔓延している年に動きづらいのもありますが、北海道から帰宅してからの外出は、谷川岳、青木ヶ原樹海、程度しかありません。
例年ですと12月は、2日と3日に秩父の祭に行くのが恒例でしたが、神事は粛々と行われるものの笠鉾や屋台は無く、最短経路で番場通りを通過すると聞きました。花火は行われたようですが、行きませんでした。
初冬の恒例行事的に毎年見ていた祭に行かないと、何か抜け落ちたような空虚な気分になります。
気になっていた下仁田ジオパーク
そんな訳で、近くに居ながら足を運んでいなかった下仁田のジオパーク展示施設に行ってみようと思い立ちました。
旧小学校の校舎にパンフレットや周辺の石が展示されていて、2階には有料で色々な説明資料が置かれていたようですが、そこは見ていません。
旧校舎外には大きな字で、ネギとこんにゃくジオパーク? 的なキャッチフレーズが貼られていました。
子供の頃からの生活空間
今は公園になっているらしい青岩周辺は、昔小学生だった頃の遠足で訪れました。周囲の色合いだとかをおぼろげながら記憶しています。そして下仁田のキーワードで連想するのがその風景です。
生活空間の一部を再認識
北海道十勝の鹿追ジオパーク職員の大西さんとの話に出た下仁田ですが、近くで日常的に生活している空間の一部なので、自然に知っている部分もあり改めて深く知ろうとしていませんでした。
有名な中央構造線て身近な存在
昔の理科か社会か忘れましたが、中央構造線やフォッサマグナを知りました。航空写真で見ると良く分かる壮大な筋状の変化が見て取れます。その中央構造線の東の延長が下仁田町を通っている意識はありませんでした。
当然と言えば当然だなと感じますが、荒船山や妙義山、群馬県から長野県へは峠を登り上げるように繋がっている地形の構造、無意識に触れていた自然も良く考えれば不思議な造形美を感じます。
身近な自然に秘められた神秘
今は少し離れて藤岡市に移りましたが、生まれてから40年近く生活していた富岡市は、私が産まれる更に前の、富岡市になる前は南牧村や下仁田町と同じ甘楽郡でした。
高崎駅からローカル線の上信電鉄で富岡駅、終点の下仁田駅と続きます。小さい頃は鏑川で泳いだり、手でも崩れる崖を崩すと化石があったり、上流の大きな石や岩の流れの中で遊んだりしました。
妙義山も身近で、中学生の頃は自転車で遊びに行くような遊び場の1つでした。当時は富岡製糸場も遊び場の1つで、ユネスコの世界遺産に登録されるような場所とは思いもしませんでした。
過疎地にある老舗のお菓子屋
下仁田に足が向いたのは、ジオパークの件は勿論ですが、南牧村にある老舗のお菓子屋に寄ってみようと思ったのが、もう1つの理由です。
創業は明治と古いお店
そこは南牧村磐戸の信濃屋嘉助と言うお菓子屋で、義母が時々口にしていて、ここの草餅が食べたいと色々な場面で言っていました。その時は今も操業しているのか疑問でしたが、検索すると健在のようでした。
お店の所在地はジオパーク隣接
下仁田ジオパークに近く、その範囲と思われる距離内に位置するお店です。店の外のディスプレイには草餅と団子をアピールしてました。
車を停めるには、向いに狭い屋根付き車庫が駐車場になってましたが、店に寄せ路上に置く人が大半のようです。通りの道路は狭いものの通行量も少ないため、短時間の買物では問題なさそうです。
地域に溶け込むためか色々な製品
ここでしか買えない『炭のまんじゅう』が有名のようですが、それは買わずに『しろつばらくがん』を買ってみました。味噌味の白餡が入った落雁で、形も食感も違いますが、群馬のソールフード焼きまんじゅうを頭に浮べる独特の香りがあって、これはなかなか旨かったです。
最近になってブレイクしたらしい
今も操業している?なんて失礼な事を思ってましたが、ホームページを新たに立ち上げているようで、shinanoyakasuke.com では、内容を覗いて見ると、うどんや赤飯等も作ったりして精力的に活動しているようです。失礼しました。
ブランデーケーキも逸品らしい
それと、義母も口にしていたブランデーケーキも一緒に買ってきました。まだ、食べていないので外から見ただけの話ですが、妻が重くてズッシリした手応えを感じると話してます。価格は1,400円でした。
住んでいる藤岡市近辺でこんなケーキを購入したら、この値段では手に入らないと妻が申しておりました。
私も洋菓子のシェリエで半年とちょっとバイトしたことがあり、バームクーヘンを含む色々な菓子を焼いたり、加工の経験もあります。どんなのか食べるのが楽しみです。
次はカメラを持ってじっくり観光
今回は、下仁田ジオパークの観光もざっと下見をした程度なので、じっくり時間を掛けて歩きたいと思っています。その時にはまた信濃屋嘉助で、別なお菓子を買って帰りたいと思っています。